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2007年7月20日 (金)

ペルー 病気レポート

リマからアレキパ、更にカバナコンデまで、計20時間に及ぶ長旅と、一気に標高3200Mのカバナコンデまで急いで登って来たことも重なり、カバナコンデに着いたときには、これぞまさしく「高山病」を発症し、頭が痛かった。それでもボリビアに6月1日に入りたい事もあって、「明日トレッキングをして、明後日帰る」という強行スケジュールを立てていた。

 到着した夜、ありえないくらいの頭痛が襲ってきた。あまりの痛さに眠れず、朝を迎えた。朝の7時くらいまでは、トレッキングをどうしようかと相談していたものの、相変わらず痛さが和らがず、その日は断念。痛み止めを飲み、1日ベットの中で過ごすことに。

 翌日、相変わらず高山病なのか、風邪なのかわからない症状が在ったものの、なんとか出かけられそうだったので、トレッキングに出かけることにした。今から考えれば、体調が悪いのに1泊2日のトレッキングなんてよくしたものだと逆に感心してしまう・・・。

 トレッキングからなんとかカバナコンデに帰ってきた。・・・すると突然下痢が襲ってきた。トレッキング後その日のうちにアレキパに戻るつもりが、無理だと言うことでもう1泊カバナコンデに泊まる事にした。トレッキングの後なので疲れもあるだろうと、風邪薬を飲み、昼過ぎからずっとベットの中で過ごした。夕食を取り、眠りに着く頃に、嵐の様に下痢と嘔吐を繰り返すようになった。何回トイレに行っただろう・・・苦しさに疲れ果てて眠ろうとするけど、胃が雑巾を絞るように痛んですぐ起きてしまう。明日もアレキパに帰る事はできない・・・。車もタクシーさえもない田舎町に病院なんてあるのだろうか・・・。いくらお金が掛かってもヘリコブターでアレキパまで運んで欲しい・・。夜中そんなことばかり考えていた。

 翌朝になり、全て吐ききったせいか少しだけ胃が楽になった。オレンジジュースを買ってきてもらった。2時間もしない内に、また嘔吐が始まる・・・。お医者さんに見て欲しい・・・。ホテルの人に聞くと、病院はあるらしいが町外れにしかなく、やはりそこまでは歩いていかなければならない。無理・・。仁くんに様子を見てきてもらうことにした。一人ぼっちで苦しむのは多少の時間でも気が遠くなるほど時間がゆっくりなものである。仁くんが女の人を連れてきてくれた。でも、その人は医者ではなく助手のような人で、症状を聞くだけ。その後、お医者さんと言われる人が来た。えっ?!そのお医者さんは手ぶらで、ポケットに聴診器と血圧計しかもって居なかった。お腹を聴診器で聴くだけで、薬を処方してくれた。治るのだろうか・・・。飲むしかなかった。

 翌日、何も食べていないせいか、それとも病気のせいか、胃は気持ち悪いままだった。でも、食べることが出来ないので吐くことはもうない。下痢だってない。強硬だけど、ちゃんとした病院がある大都市アレキパに戻ることにした。

 アレキパまでバスで7時間。病気の私には気の遠くなる話だった。その半分は舗装されていないガタガタ道を通る。流石に休憩地点のチバイに付いたときにはまた嘔吐した。そこからは舗装された道を通り、比較的楽にアレキパまで戻ることが出来た。

 ホテルに着く頃には、気持ち的に楽になったせいか、身体も復活しそうな気さえした。それでも食欲が湧かないので、仁くんが雑炊を作ってくれた。でも、一口しか食べられない。少しして、胃が痛み出した。気持ち悪く、激しく痛いので、真直ぐ寝ることすら出来ない。夜だったので何とか我慢して明日病院に行こうとしたけれど、夜も10時半を過ぎた頃、もう限界だった。タクシーで時間外診療、緊急患者を診てくれる病院へ行くことにした。

 病院に着く。中型の病院で救急車も完備されていたのでちょっとだけ安心した。薬と聴診器と血圧計しか持って居ないということは無さそうだったからである。胃の痛みは更に増していた。先生は直ぐに診てくれた。「点滴か注射をしよう」と行って出て行ったきり、今度は誰も打ちに来てくれない。苦しむだけしかなかった。どのくらい時間がたっただろうか。看護婦さんが点滴と注射を持ってきた。「助かった~」と心の底から思った。

 点滴が始まり、痛み止めの注射が入った頃、痛みは不思議と無くなっていった。しかし、それは20分と持たなかった。また痛み出す・・・。1本の点滴が無くなっても、症状は一向に回復しない。2本目の点滴が運ばれてきた。「同じ点滴で効果があるのだろうか・・」その間に先生が3人変わっていた。

 夜も更けて、時間外診療も終わりということで、点滴を止められ、「寝なさい」と言わんばかりに電気が消された。先生達も眠りに就く。2本目の点滴の頃から今度は左胸の上が釘で刺されるように痛い私は、眠るどころか、ベットの上で苦しむしかなかった。1時間、それとも2時間くらい我慢したけれど耐えられないので、先生を呼ぶ。「いろいろと注射したから今は何も出来ない」との答え。苦しめということなのか・・・。日本だったら・・・何回思っただろう。

 朝になり、専門の先生が来るということでそれまで痛みと闘った。先生が予定より遅れて来た。診察してもらったけれど、心臓に異常がないとの事。酸素マスクのようなものを付けられた。30分経っても痛みは消えない。最終手段なのか、お尻に痛み止めの注射を打つ。2時間ほどして、痛みが消えたので退院した。お腹は気持ち悪いままで、私はまだ病院にいたい気持ちで一杯だったけど、大丈夫だという先生の判断でホテルへと帰る。

 食欲は相変わらずなかったけれど、薬は必ずご飯の後でという先生の指示に従い、小さいヨーグルトを頑張って口に運ぶ。気持ちは悪いけど、吐き気はないので、1日3回僅かな食事で過ごす。2日経って、固形のパンなどが食べられるようになった。便も戻りつつある。

回復はもう近い。

次の目的地はクスコ。標高が3300M、消化不良を起こす可能性もあるのでアレキパでしっかり休養して向かうことにしよう。

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