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2007年7月20日 (金)

7月18日 ポトシ4日目

223  日本を出国してあと3日で10ヶ月。10ヶ月も経ったなんて我ながらビックリ。時間が経つのは本当に早いと・・・最近・・というより25歳を越えてから思う事が多くなった。

 この10ヶ月本当にいろんなことが私達に起こった。初めての国境陸路越えアメリカ→メキシコから、アミーゴの国メキシコでの初めてのスペイン語圏の友人との出会い、初めての共産国家「キューバ」訪問、初めての国境海路越えパナマ→コロンビア、南米の大自然との触れ合い、観光大国「ペルー」の素晴らしさ・・・各国の名物料理・・・海外での病気・・・。

初めの頃はすべてが新しい事ばかりだった。最近は毎日新発見!とまではいかないけれど、国が変わるたび町が変わるたび、やっぱり私達を驚かせてくれる。「常識」とはなんなのか、「道徳」とはなんなのか、「幸福」とはなんなのか・・・新しいそれらと出会うたび、考えさせられる。その時間は私達をより「豊か」にしてくれるような気がする。

 今、私たちはボリビア・ポトシに滞在している。ボリビアという国は、日本の3倍の土地を持ちながら、日本の14分の1の人口しかいない。南米で海岸線を持たないのは、ここボリビアと隣国パラグアイのみ。昔は海岸線を持っていたものの度重なる戦争で領地を失いとうとう海岸線まで失ってしまったという過去を持つ。更に近代は度重なるクーデターで政府が変わり、腐敗した政治家達を多く産んだ不安定な国だった。「だった」いや今も不安定には変わりないのではないかと思う。南米諸国の貨幣価値はここ数年でかなり上がった。物価も高くなった。コロンビア、エクアドル、ペルーを旅行してきた私達は南米の「勢い」のような物を常に感じてきた。先進国である我々が「安く」旅行をする時代はもうすぐ終わるのではないかと思ってきた。でも、ここボリビアだけはチョット違う。南米一「貧しい」といわれるボリビア。貨幣価値は数年前と変わらない。政府が腐敗しているのか、社会のシステムが良くないのか・・そんなことよりも「前向きさ」に欠けている気がしてならない。前向きな人が居ないわけではない。陽気なボリビア人だっている。しかし、ここには他の南米諸国と同様、「格差」がある。エリートといわれる人たちは周辺諸国とたいして変わらない。ただ、一般に生活しているいわゆる「普通」から「貧しい」といわれる人たちの目が生き生きしていない。「貧しさ」に打ちひしがれているような人を多く目にする。

 ペルーのアマゾンで生活する人の、貧しさの中にもたくましく「生き生き」している人たちを多く目にしてきた私達には、この国の貧しさは人の心に在るような気がしてならない。

 今、ボリビアは国内全域の「スト」に突入している。鉱山夫の労働条件によるストで国内の主要道路は2日前から封鎖されたままだ。旅行者にとっては迷惑な話で、主要な移動が「バス」の南米において主要道路が塞がれるという事は、移動が不可能を意味する。日本なら幾らでも回り道はあるものの、ここボリビアにおいては主要道路のみが「道路」なのだ。私達も丁度移動日にこのストに当ってしまい、ここポトシに滞在する事を余儀なくされている。このスト、いつ解除されるかは未定。ボリビアにおいてストは珍しい事でもなく、ボリビア人はのんきな者だ。私達も「南米時間」には慣れているので何日でもいて構わないのだが、ボリビアに滞在できる期限は「1ヶ月」、あと3日しか猶予が無い。

大きなボリビアは頑張って回って1ヶ月は掛かる。南米一絶景だと言われる「ウユニ」を残して残り3日、もう「1ヶ月」で出国できる見込みはかなり少なくなってしまった。P1090390

 しかし、ここはボリビア。南米は基本的に「お金」が大きくものを言う。1ヶ月をオーバーしても1日当り10ボリビアーノ(160円)払えば出国できる。しかも、長期割引が利くと言うからびっくりだ。でも、ストで足止めを食らって、罰金を払わされるのは納得がいかない。一体、いつ出国できる事やら・・・。

 私たちがいるここボリビアには、世界記録が多く存在する。世界一標高が高い首都「ラ・パス」、汽船が運航する湖では世界最高所の「ティティカカ湖」、世界一標高が高い都市、ここ「ポトシ」、世界一大きな塩湖、しかも世界最高所「ウユニ塩湖」。P1080968

国内の主要都市が標高3000M近くもしくはそれ以上あるボリビアでFIFAの公式試合は出来ない。FIFA公認の公式試合が標高2500M以下でしか行えない事をFIFAが発表するとボリビアはそれに抗議するため、標高6000Mほどの雪山でサッカーをしたという記事を目にした。それに果たして効果はあるのか・・・。普通に考えて、 富士山の8合目辺りでサッカーの試合が出来るなんて日本人の私達にしてみたら不可能な話しだ。歩くだけでも酸素不足で苦しくなるのに・・・。

そんなボリビアも残りわずか。物価の安さに甘えて節約を忘れていた私達には、物価高の4国が残った。チリ、アルゼンチン、ブラジル、ベネズエラ。また、新しい人たちと、新しい食と、新しい経験に出会うため、私達の旅は続く。

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ペルー 病気レポート

リマからアレキパ、更にカバナコンデまで、計20時間に及ぶ長旅と、一気に標高3200Mのカバナコンデまで急いで登って来たことも重なり、カバナコンデに着いたときには、これぞまさしく「高山病」を発症し、頭が痛かった。それでもボリビアに6月1日に入りたい事もあって、「明日トレッキングをして、明後日帰る」という強行スケジュールを立てていた。

 到着した夜、ありえないくらいの頭痛が襲ってきた。あまりの痛さに眠れず、朝を迎えた。朝の7時くらいまでは、トレッキングをどうしようかと相談していたものの、相変わらず痛さが和らがず、その日は断念。痛み止めを飲み、1日ベットの中で過ごすことに。

 翌日、相変わらず高山病なのか、風邪なのかわからない症状が在ったものの、なんとか出かけられそうだったので、トレッキングに出かけることにした。今から考えれば、体調が悪いのに1泊2日のトレッキングなんてよくしたものだと逆に感心してしまう・・・。

 トレッキングからなんとかカバナコンデに帰ってきた。・・・すると突然下痢が襲ってきた。トレッキング後その日のうちにアレキパに戻るつもりが、無理だと言うことでもう1泊カバナコンデに泊まる事にした。トレッキングの後なので疲れもあるだろうと、風邪薬を飲み、昼過ぎからずっとベットの中で過ごした。夕食を取り、眠りに着く頃に、嵐の様に下痢と嘔吐を繰り返すようになった。何回トイレに行っただろう・・・苦しさに疲れ果てて眠ろうとするけど、胃が雑巾を絞るように痛んですぐ起きてしまう。明日もアレキパに帰る事はできない・・・。車もタクシーさえもない田舎町に病院なんてあるのだろうか・・・。いくらお金が掛かってもヘリコブターでアレキパまで運んで欲しい・・。夜中そんなことばかり考えていた。

 翌朝になり、全て吐ききったせいか少しだけ胃が楽になった。オレンジジュースを買ってきてもらった。2時間もしない内に、また嘔吐が始まる・・・。お医者さんに見て欲しい・・・。ホテルの人に聞くと、病院はあるらしいが町外れにしかなく、やはりそこまでは歩いていかなければならない。無理・・。仁くんに様子を見てきてもらうことにした。一人ぼっちで苦しむのは多少の時間でも気が遠くなるほど時間がゆっくりなものである。仁くんが女の人を連れてきてくれた。でも、その人は医者ではなく助手のような人で、症状を聞くだけ。その後、お医者さんと言われる人が来た。えっ?!そのお医者さんは手ぶらで、ポケットに聴診器と血圧計しかもって居なかった。お腹を聴診器で聴くだけで、薬を処方してくれた。治るのだろうか・・・。飲むしかなかった。

 翌日、何も食べていないせいか、それとも病気のせいか、胃は気持ち悪いままだった。でも、食べることが出来ないので吐くことはもうない。下痢だってない。強硬だけど、ちゃんとした病院がある大都市アレキパに戻ることにした。

 アレキパまでバスで7時間。病気の私には気の遠くなる話だった。その半分は舗装されていないガタガタ道を通る。流石に休憩地点のチバイに付いたときにはまた嘔吐した。そこからは舗装された道を通り、比較的楽にアレキパまで戻ることが出来た。

 ホテルに着く頃には、気持ち的に楽になったせいか、身体も復活しそうな気さえした。それでも食欲が湧かないので、仁くんが雑炊を作ってくれた。でも、一口しか食べられない。少しして、胃が痛み出した。気持ち悪く、激しく痛いので、真直ぐ寝ることすら出来ない。夜だったので何とか我慢して明日病院に行こうとしたけれど、夜も10時半を過ぎた頃、もう限界だった。タクシーで時間外診療、緊急患者を診てくれる病院へ行くことにした。

 病院に着く。中型の病院で救急車も完備されていたのでちょっとだけ安心した。薬と聴診器と血圧計しか持って居ないということは無さそうだったからである。胃の痛みは更に増していた。先生は直ぐに診てくれた。「点滴か注射をしよう」と行って出て行ったきり、今度は誰も打ちに来てくれない。苦しむだけしかなかった。どのくらい時間がたっただろうか。看護婦さんが点滴と注射を持ってきた。「助かった~」と心の底から思った。

 点滴が始まり、痛み止めの注射が入った頃、痛みは不思議と無くなっていった。しかし、それは20分と持たなかった。また痛み出す・・・。1本の点滴が無くなっても、症状は一向に回復しない。2本目の点滴が運ばれてきた。「同じ点滴で効果があるのだろうか・・」その間に先生が3人変わっていた。

 夜も更けて、時間外診療も終わりということで、点滴を止められ、「寝なさい」と言わんばかりに電気が消された。先生達も眠りに就く。2本目の点滴の頃から今度は左胸の上が釘で刺されるように痛い私は、眠るどころか、ベットの上で苦しむしかなかった。1時間、それとも2時間くらい我慢したけれど耐えられないので、先生を呼ぶ。「いろいろと注射したから今は何も出来ない」との答え。苦しめということなのか・・・。日本だったら・・・何回思っただろう。

 朝になり、専門の先生が来るということでそれまで痛みと闘った。先生が予定より遅れて来た。診察してもらったけれど、心臓に異常がないとの事。酸素マスクのようなものを付けられた。30分経っても痛みは消えない。最終手段なのか、お尻に痛み止めの注射を打つ。2時間ほどして、痛みが消えたので退院した。お腹は気持ち悪いままで、私はまだ病院にいたい気持ちで一杯だったけど、大丈夫だという先生の判断でホテルへと帰る。

 食欲は相変わらずなかったけれど、薬は必ずご飯の後でという先生の指示に従い、小さいヨーグルトを頑張って口に運ぶ。気持ちは悪いけど、吐き気はないので、1日3回僅かな食事で過ごす。2日経って、固形のパンなどが食べられるようになった。便も戻りつつある。

回復はもう近い。

次の目的地はクスコ。標高が3300M、消化不良を起こす可能性もあるのでアレキパでしっかり休養して向かうことにしよう。

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