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2007年4月24日 (火)

4月19日 サキシリ 家畜市

   P1060378_1 4月19日 サキシリ 木曜市

 エクアドルの首都「キト」の宿「スクレ」は、宿泊代が一晩二人で3.5ドル(450円)と信じられないほど安い上に、立地も良く比較的過ごしやすい気候も手伝ってなかなか重い腰が上がらない・・・。が、予定よりも一日長居しただけで何とか旅たつことが出来た。

 次の目的地は南へ2時間ほど下った「サキシリ」という町。事前の情報によると木曜日に市が立つことが有名で特に家畜市は一見の価値があるとのことだった。P1060379

 木曜日にはキトからサキシリまでの直通バスが出ると聞いていたが見当たらない・・・。受付で話を聞くと朝の5時と夕方の5時の2本しか出ていないとの事。腕時計を見ると既に6時半になろうとしている・・・。仕方なく乗り継ぎで行くことになった。

 先ず、キトから2時間、ラタクンガ行きのバスに乗り「エントラーダ」で下車、そこから「サキシリ」行きのバスに乗り換え10分で目的地に到着。

 バス停の付近は閑散としていて何の賑わいも無い

「あれ?今日は市が無いのか?」

 と不安になった。

 重いバックパックを背負ったまま、しばらく歩くと人だかりが見えてきた。小さい規模では在るがマーケットが出ている。思っていたよりもかなり小さい「市」と言うよりも普段のメルカドと変わらないような規模。家畜たちも見当たらない。剥いだばかりの牛皮と羊の皮がなまなましく血を垂らしたまま道端で売られているが、家畜たちは見当たらない。

P1060386  道を聞くと更に10分ほど北に上がったところに家畜市が在るということだった。バックを背負ったまま更に歩くと、向かい側から羊や豚などの家畜を連れた人たちが歩いてくる。通りがかりに「何所で買ったの?」と聞くと、「もうちょい先だ。」と指を刺して嬉しそうに答えてくれた。羊一頭75ドル(9000円)ぐらい・・・月収が2万円か3万円程度なことを考えると かなり気張って買い物をしたことになる・・・。笑顔もこぼれるわけだ・・・。

 家畜たちは自分の将来がどう言う結末になるのか知っているかのように、泣き叫ぶものも少なくない。首や足に巻きつけられた紐を無理やり引っ張られて辛うじて前に進んでいる。そんな光景を見ていたら ふと、「ドナドナ」が頭の中で流れ始めた・・・。

P1060389_1 更に歩くと大きな広場に人だかりが出来ていて、車もいっぱい止まっている。良く見るとみんな羊をひいている。

 奥に行くと、豚にヤギ、アンデス特有のリャマまでが市場では売られている。更に置くまで歩くと牛が売られている。

 日本人の中にはいけすの魚を見ると美味しそうに見える人も少なくないと思うけど、この地域の人から見れば牛も美味しそうに見えるのだろうか?

 始めての家畜市は衝撃的だった。が、今回のサキシリ訪問にはもう一つの目的がある。牛の解体工場を見学しに行くこと。P1060393

家畜市の近くに在ると思っていたのだけれど、見当たらない。道を聞くとそこから北に10分(実際には20分)ぐらい歩いた「カマル」という所だという。また戻らなくては・・・。思いバックパックを持ったまま更に更に歩いた。

 P1060398

解体工場には、解体が終わったばかりの大きな牛が何体も吊り下げられている。今まで生きていたことを証明するように首と皮膚、内臓の無くなったその体からは湯気が立っていた・・・。

 解体は午前9時から。僕達が工場に着いたのは10時45分、残念なことに解体は既に終了していた。僕達が見たのは牛の頭から牛タンを取り出すところだけだが、充分グロテスクだった・・・。解体するところは見れなくて良かったのかもしれない。

 

 2007年4月20日  ひとし

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4月17日 赤道記念館

P1060243  赤道直下にあるエクアドルでは、赤道に記念塔を建てて観光名所としている。「ミタ・デル・ムンド」エクアドルに観光で来る人は誰でも寄るところだ。

 もちろん僕達も足を運んだ。

 赤道記念館までは、キトの市内からバスに乗って1時間30分ほど「北」に戻ったサン・アントニオと言う村にある。立派な記念塔が建てられて、入場料が一人2ドル取られる。赤道には線が引かれ、誰もがそこが赤道であることを確認できる。そこで北半球と南半球を跨いで記念写真を撮るのが定番になっているわけだ・・・。P1060245

 なのに・・・。この立派な建物がある「赤道」は偽物!赤道から少しズレている。立派な赤道記念館から、2分ほど歩いたところに本物の赤道が通っていて、かなりチャチイ博物館がそこにも建てられている。入場料が一人3ドル取られてガイドの説明が英語かスペイン語で付きアマゾンの原住民の生活様式の説明を受けた後、赤道直下で色々な実験をしてくれる。

 P1060264

一つ目の実験は、容器にためられた水の栓を北半球、南半球、赤道直下で抜きそれぞれどのように変化するのかを実験する。誰でもなんとなく聞いたことがあるとは思うけど。北半球では台風が左巻き。南半球では右巻きになる。それと同じことが水の栓を抜くと起こるのだ。それでは赤道直下では?

 「真直ぐ水が落ちて行く。」

 二つ目の実験は赤道直下で生卵を釘の上に立てる実験。生卵を立てることは赤道直下でない日本でも時間をかければ何とかできるけれど、それを釘の上に立てることは非常に難しいだろう・・・。これが、20秒ほどで簡単に立てられてしまう。卵が立て易いように削られているのではと確認してみたがそうでもなさそう・・・。釘にも何か加工されている気配は無い。なぜか、簡単に立ってしまうのだ。P1060267

 

三つ目は赤道直下では力が入りにくいという実験。赤道直下から少し離れ場所で人差し指と親指を力強くくっ付ける。そして、それを他の人に離してもらう。赤道直下で無い場所では引き離すのにかなりの力が必要だけれど、赤道直下では簡単に引き離されてしまう。

 

 どの実験も思わず「お~!」と感心してしまう。肝心の理由が英語なので解りにくいが、北と南のバランスが取れた赤道直下では全てがニュートラルなのでそのような結果になるということらしい・・・。

 

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4月14日オタバロ土曜市

P1060135  エクアドルの首都キトから2時間ほど北上すると人口3万8千人ほどの山間の小さな田舎町オタバロに到着する。

 オタバロは土曜日になると市が立つことで有名でその規模は南米でも最大らしい。街周辺のインディヘナがいっせいに集まってくる。いつも寂しい街並みは週末のたびに観光客も増えて賑やかになる。

 この付近のインディヘナの女性は刺繍のついた袖の広がったブラウスに黒地の巻きスカートをはいて頭に布を巻いているかシルクの帽子をかぶっているのが一般的。男性は特に民族衣装を着てはいないが 髪の毛を伸ばして三つ網にしている。

 P1060181_1 売られているものは民芸品が中心でその他にも野菜や家畜もあるようだが、一番目に付くのは布製品、ラナと言われるウールのセーターやタピセス(絨毯の様なもの)バックなどが多い、その他にも木彫りの置物や、フォルクローレに使われる楽器、土器などもちらほら見られる。リャマなどの繊維製品もあるが基本的にオタバロ周辺ではリャマは居なかったのでリャマの製品は伝統的なものではない。P1060185_1

 土曜日の市が有名なのだけれど、規模は小さいが中央にある公園で毎日民芸品の市が出ている。土曜日には人も集まるためか最初の言い値が若干高くなる。もちろん交渉しだいで値を下げることも可能だが、平日よりも大分手ごたえが悪く なかなか希望額まで達しない。だから、実際に買い物をするのは平日の方がいいと思う。

値下げ幅は店によって異なる。店によっては倍額近い値段を最初に吹っかけてくる事も在るので値段の相場を十分研究してから本命の商品を買いに行くべき。

値段交渉のポイントは妥協しないこと、希望額に達するまでは店を行ったり来たり何度も繰り返し ある程度時間を掛けて口説き落とす方がいい。同じ商品が隣同士の違う店にある場合には比較的値段交渉が楽。但し同じ家族でいくつかの店舗を持っている場合もあるので気をつけること。

冷やかしで値段交渉をする人も多いようなのである程度買う気を見せてあげた方がいい。P1060186

値段交渉をしながら地元の人たちとコミュニケーションの取れる市場はとっても楽しい。楽しさのあまりついつい要らない物まで買ってしまったり、得しているのか損しているのか解らなくなったり、何でこんな物買ったのか後から悩んでしまうような事もあるけど、貧乏旅行で節約、節約の毎日ばかりじゃつまらない。たまには買い物をするのもいいものです。(それでも使う金額はたかが知れてるけど・・・。)

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2007年4月10日 (火)

コロンビア交通事情

3月30日 「サン・アグスティン」から「ポパジャン」を目指して移動。朝からあいにくの雨で移動するかどうかかなり悩んでの出発。目的地までの直通バスが無かったので中継の街「ピタリート」までまずは向かった・・・。

幸い「ピタリート」に着く頃には雨もやんでいて重い腰を起して出てきて良かったと思っていた。

事前の情報によるとサン・アグスティンからポパジャンまでは6時間ぐらい・・・。ピタリートまで1時間ぐらい掛かっているので後、5時間ほどの移動。乗継がうまくいけば夕方までには目的地につけるはず・・・。それにしてもピタリートとポパジャンの距離は200キロ程度しかないのに・・・なぜ?5時間も掛かるのか・・・。噂ではかなりの悪路だと言うことだったけど・・・。

直ぐに出発するバスが無くて1時間ほど待たされて、午後1時にピタリートを出発。値段も最初の言い値よりも1万ペソ(5ドル)も安くなった。(コロンビアの長距離バスは値段交渉が必要。上手に交渉すれば必ず安くなる。)

一応バスの運転手に目的地まで何時間で着くのか尋ねると、「5時間」と言う答えが返ってきた。情報どおり・・・。でも、コロンビアのバスは信用できない。今までの移動も全て最初言われた到着時間よりも2時間遅く着いていた・・・。

最初、舗装された道路を快調に飛ばしていたので、噂ほどの悪路でもなく快適だと思っていたが15分程で舗装されていない悪路に入った。今時、日本で舗装されていない道路なんてほとんど見る事が無いのに・・・。

「舗装されていない道路はこんなに揺れるのか・・・?」

バスが古いせいもあるのかも知れないけど異常なほどバスが揺れる。それでも運転手はかなりのスピードで曲がりくねった山道を通り抜けていく。窓の外を眺めるとバスは、道幅ギリギリで一歩間違えると谷底に落ちそう・・・。先月コロンビアでバスが転落して日本人が死んでいるのを思い出す・・・。

P1050663 出発から30分、舗装されていない山道「工事」をしていた。しかも全面通行止め。山の一部を崩してなにやら作業をしている。

「やっぱり・・・」と思った。

コロンビアのバス移動は順調に行ったためしがない。相性が悪いようだ。

て、言うか事前にちゃんと調べとけよ!とも思うのだが、これくらいのことを気にして「第三世界」を旅行していたら胃が痛んで仕方ない。ココは、おおらかな気持ちでひたすら待つしかないのだ。

1時間たっても通り抜けられない・・・。何所で聞きつけたのかコーヒーとスナックを売るおばちゃんまで現れた。

2時間たってもまだ動かない・・・。流石にいつまで待っているんだろうとチョット疑問に思う。

2時間半やっと出発。ホッとした。が、これはこの日の災難の始まりに過ぎなかった。

 再出発から15分後、再びバスが停車。バスの調子が悪いらしい・・・。なにやら運転手とその助手が右の後ろタイヤを直している。

「またか・・・。」

10分程の停車で出発「良かった・・・」「これ以上遅くなったらどうしてくれるねん!」中途半端な大阪弁で心の中でつぶやいた。

 更に30分ほど走ると小さなレストランの前で停車。今度は昼(夜)休憩、「ココでなんか食べろ」だって・・・。二時間以上も遅れていてもまだ休憩するのが凄い、それよりも早く目的地まで連れて行ってくれ・・・。

 20分ほど休憩して再び出発。

15分ぐらい走ったらまた停車。今度は「左後輪」が故障らしい。助手のお兄ちゃんが作業用のつなぎに着替えてバスの下に潜り本格的に修理が始まった。外は雨が降っている・・・。P1050673

「もう駄目だ!」完全に諦めた・・・。

30分・・・一向にバスが直る気配は無い。目的地まで着くのか不安になる・・・。辺りは真っ暗闇になってしまった。街灯も無い。仕方が無いのでバスが出るまで寝て過ごすことにした。4度目の停車から一時間ほどして、乗客がぞろぞろと外に出だした。寝ている僕達を起してなんか言ってる・・・。

キョロキョロと周りを見ると隣に別のバスが止ってる。

「乗換え?」結局バスは直らなかった。時間を見ると8時を過ぎていた。既に到着予定時刻を3時間も過ぎているのに後、二時間もバスに揺られなくてはならないなんて・・・。もう怒る気にもなれなかった。これで目的地まで着けると思ったら嬉しかった。

新しく乗り換えたバスは好調。相変わらず舗装されていない道路をガタゴト揺れながら走っている・・・。

4度目の出発から1時間45分後、5度目の停車。時刻も10時になろうとしていた。「夕食休憩」この期に及んで、飯を食う余裕があるなんて・・・。完全にあきれてしまった。

隣のおじさんに「後どれくらいでポパジャンに着くの?」と聞くと「15分」と答えが返ってきた。「15分?」到着の僅か15分前に休憩を取るなんて・・・。

運転手だけが飯を食ってる。乗客は誰も降りない。運転手の腹ごしらえのためだけの停車。流石に腹立たしく思って「いい加減にしてくれ・・・」と心の中でつぶやく・・・。

コロンビア人は何も言わずに隣の席の人と楽しそうにお喋りしていたりする。

5度目の出発から15分後やっとポパジャンに到着。10時を過ぎてもう直ぐ10時30分。予定よりも4時間半遅れての到着。

先月、日本人観光客がポパジャンで刺されてる・・・。バス停の周辺は危険だと言うのに・・・。

「ア~ッ」失望のため息がこぼれた。

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2007年4月 5日 (木)

行方不明者

行方不明者・・・。

 海外旅行をしていて、国境を越えるとき移民局で「探し人」の張り紙を見つける。「何で居なくなっちゃったんだろう?」「薬をやってたんじゃないか・・・?」「ゲリラにつかまったのか・・・?」と、いろいろな妄想をするけど理由は分からない・・・。僕にとっては、「この国は危険だ・・・。気を着けなくては・・・。」と国境を越えて嬉しい反面、新しい未知の世界に飛び込む怖さを感じるだけだ・・・。

 実際、他の旅行者から海外旅行をして帰ってこなくなってしまった人の話しや、犯罪に巻き込まれてしまった話しを聞く機会も少なくない。(幸いにも僕の知り合いで居なくなった人は居ないけど・・・)日本のニュースにならない原因不明の海外での行方不明者や殺人事件は5万とあるらしい・・・。

 グアテマラのケツアルテナンゴに在る日本人宿に泊まったときにも食堂のところに「探し人」の張り紙がしてあった。日本人のものは、初めて見たので、かなりドキッとして、日本人もこんなことになるんだと・・・。違う意味で感心してしまったのを覚えている。

 宿の主人によると今から二年ほど前に張り紙用の紙を手にした親が「息子を探してください」と、宿に訪れたのだという・・・。その張り紙には、年齢・性別・誕生日・携行品・バックの色・最後に連絡の取れた日にち・体の特徴・吸っているタバコの種類まで書いてあった。

どうやらかなりまめな子で一週間に一回ぐらいのペースで親にメールを送っていたようだ・・・。写真の顔を見ても犯罪に巻き込まれそうな感じもしないし、ましてや薬に手を出しそうな感じも全くしない・・・。「一体なにがあったんだろう・・・?」とグアテマラにチョット恐怖を感じた・・・。

何処かに居るのかもしれないが、何かに巻き込まれてしまった可能性が高いと思う・・・。グアテマラは一日に一人以上の殺人事件が毎日起こる。毎日、グアテマラのどこかで誰かが殺されている・・・。十分な注意が必要だ。

ところが海外にはそういった理由で居なくなった人ばかりではないらしい・・・。

これも宿の主人の話だが、以前にも同じように探し人を頼まれた事が在り、幸いにも本人を発見できた。慌てて頼まれた両親に連絡を取り、迎えに来てもらおうとしたが、当の本人から、激怒された。「何で連絡したんですか・・・!」と・・・。宿の主人は何のことやら分からず困ってしまったが、彼は自分の意思で失踪していた・・・。誰にも見つかりたくなかったのだ。

海外で行方不明になっている人の半分は何らかの理由で日本に帰りたくない人ではないかと旅行者は推測する・・・。

そういえば、日本で住んでいたときに「海外に逃げちゃいたいな・・・」とか言う人結構居た気がする・・・。実際に逃げちゃった人もそりゃ居るわけだ・・・。

 最近テレビで失踪者を探す番組が流行ってたりして、「~から連絡がありました。」とか、「もしこのテレビを見ていたら○○サン連絡ください・・・。」なんてアナウンサーが真剣に訴えていたりするけど、失踪した当人が日本に居るかどうか定かではない。今時は海外にまで失踪することだってそんなに難しいことではないのだ・・・。

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2007年4月 1日 (日)

差別

差別

 海外旅行に行くと僕達は外人に成る、当たり前のことだけど日本から出れば僕達は異邦人で日本にいるときには思いもしなかった「差別」を受ける場合がある。

 例えば、海外旅行をしているとよく日本語で話しかけられる。「こんにちは」「さよなら」「ありがと」は、定番の言葉で「安いよ」「友達価格」などなど・・・。せっかく海外に来ているのに、海外の文化を吸収したいのに、現地の人が話す片言の日本語には腹立たしい思いをすることが少なくない。もちろん友好的な気持ちで話しかけている人も居るのだろうが、そんな風に話しかけられても愉快な気分には全く成れない。日本人を馬鹿にしているやつも多いと思う。

特に中米で良く聞かれるアジア人に対する差別的な言葉が「チノ」である。基本的には中国人のことを表す言葉だが、アジア人を総称して「チノ」と呼ぶ。もっと言うと目が細ければみんな「チノ」なのだ。

ラテンアメリカ人に言わせると「チノ」はあくまでもキャラクタリスティック、人物の特徴であって差別的な意味は無いと言う・・・。その証拠にフジモリ元ペルー大統領のニックネームは「チノ」だし。メキシコ人やグアテマラ人などラテンアメリカの人でも目が細ければみんな「チノ」と呼ばれている。

だとしても、道を通っていて通りすがりに「チノ」、遠くの方から大声で「チノ」アジア人が珍しいのかもしれないが何所でも「チノ」と声をかけられれば流石に腹立たしくなってくる。

なにを差別と呼ぶべきなのか?なにを差別と呼ばないのか?基準を決めるのは非常に難しい。基本的には、言われている本人が不快に感じている以上「差別」だと認識するべきなのではないだろうか?「チノ」と言われて気分のいい日本人は一人も居ない・・・。

百歩譲って「チノ」は、許したとしても、完全に馬鹿にしていると思っていいのは「チン・チョン・チャン」だ。シャンプーの宣伝ではない・・・。

アジア人を馬鹿にするときに良く使う言葉でアジア人の話す言葉はみんな「チン・チョン・チャン」に聞こえるらしい・・・。中国語も韓国語も日本語もラテンアメリカ人にとってはみんな同じ響きなのだ。

これを言われると流石に腹立たしい。殴ってやりたいと思うことも少なくない。殴ろうと向かって行った事も在るが、中米で人を殴ってもいいことは無い。逆に被害をこうむるのは自分で、周りは全員「敵」味方は一人もいないと思った方がいい。返り討ちに遭うのは目に見えている。実際に返り討ちにあった話も聞く。

勘違いしていけないのは、中米で差別を受けているのはアジア人だけではない。歴史的な背景からも欧米人のほうが嫌われていて「グリンゴ」と呼ばれ差別的な扱いを受けている。これも、ラテンアメリカ人に言わせると差別ではないらしく、金髪で緑色の目をした人種を総称して「グリンゴ」と呼ぶらしいが「Green Go Away」(緑の目の人種は出て行け)という意味を含んでもいる事も否定できないし、欧米人の中にこの言葉を良く思っていない人も多い・・・。

 それでも、彼らに悪気は無い。あくまでも人物の特徴の総称であって、差別的な意味合いは含んでいない・・・。

 繰り返しになるが、なにを差別と呼ぶべきなのか?なにが差別でないのか?相手が不快に思っていればそれは「差別」だと認識すべきではないのだろうか・・・?

 

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