2007年12月31日 (月)

モロッコ

Img_8634 今回のモロッコの旅は印象的だった。今まで多くの国を周って来たけれどこの種の国にはなかなか会えないかも・・・。

 そう感じるのは、僕達にとって初めてのムスリムの国だと言う事もあったのかも知れない・・・。

あまりの文化・習慣の違いに、苛立ち、激怒し、その気持ちの高ぶりは殴りかかる寸前まで達する事も多々あった。

 実際に蹴飛ばしたり、本気で怒鳴ったりもしたけれど。

何故だか次の瞬間には、スッキリと彼らの無礼な行為も気に成らなくなり、笑い話のネタとして二人(さおりと僕)の会話の中に登場してしまう。

Img_8655 「この国は、ムカつくやつばかりが住んでいるから、怒ることだって在るだろうし、悲しむ事もあれば、苦しむことだっていっぱいあるんだよ。」

だけど、

「僕もムカつくやつだから、怒らせる事もあったし、悲しませる事もあったし、苦しませる事もいっぱいあったしなぁ~。」

いいモロッコ人もいっぱいいる。

僕にもいいところもいっぱいある。

何故だか、そんな風に感じさせてくれる国なのだ。

夜、街角でごはんを食べていたら、若いモロッコ人に話しかけられて、こんな事を言われた。

「アメリカ人だって、黒人だって、日本人だって、俺たちだってみんな平和になりたいんだ。みんな平和になろうぜ!!!」(なんかの歌の歌詞みたいな言いまわしだけど。)

ここは、厳格なムスリム国。無宗教のひとが言うのとは、1000万倍も言葉の重さが違う。

世界は、平和になるのかもと一瞬でも感じさせてくれた。

「モロッコ」

文化も宗教も全然日本とは違うこの国で、日本と僕と同じ所がいっぱい見つかった。

P1120968

ことしも一年あっという間に終わってしまったけれど。いい一年だったと胸を張って言えるくらいいい一年だった。

来年もよい年でありますように。

ことしも、一年有難うございました。

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2007年12月 6日 (木)

宗教問題

 日本人は宗教を持たないと思いがちだけど・・・実は、僕ら日本人も昔から神様を信じてる。しかもかなり熱心に。

 日本には昔から色んな神様が居て、受験の神様、安産の神様、恋の神様、お金持ちになれる神様、病気にならない神様、都合のいいときに都合の良い神様を選択してお祈りできる便利な神様が居る。たまには貧乏神だったり疫病神だったり、付いてほしくないような神様も居るけど。ちゃんと神様を信じてる。

日本の神様は何でもお願いを聞いてくれる。叶うかどうかは別だけど少なくともみんなに希望を持たせてくれる。みんなの話を素直に聞いてくれる。そんな日本の神様が僕は大好き!

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2007年8月16日 (木)

ミクシー始めました

突然ですが、「ミクシー」始めました。

恥ずかしながら、最近までミクシーを知らなかった私。「ミクシー」とは、インターネットのソーシャルネットワークで、友達からの紹介メールから会員になる。会員になると、自分の自己紹介のページが与えられ、自分と同じ趣味を持つ人とコミュニケーションを取れたり、ミクシー内でブログ(日記)が公開出来たり、友人を検索できたり・・まぁ色々とできるわけです。

「頑張って更新しているホームページを折角だったらもっと多くの人に見てもらいたい」その手段を探していた私達には嬉しいネットワークだった。

それよりも、もっと「やってみたい!」と思わせてくれたのは、ウユニで出会った「たかしくん」の一言だった。

「ミクシーで中学校の友達と連絡が復活した!」

なんでも、中学校の名前で検索したらそのコミュニティーがあって、その中に友達がいたそうだ・・・。す、すごい。

しかも、会員数が10万人近くいて、若者の10人に1人はやっているということだった。

日本には凄い事を考える人がいるもので、考えれば考えるほど良く出来たシステムだと言う事に気付く。

・・・ということで始めました。「せかそら」で検索してください!

ひとしも近々始めます。「宇佐美冷蔵」のコミュニティーがあるのを知って、「風の丘」コミュニティーを作るべく、意気込んでいます。

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2007年7月20日 (金)

7月18日 ポトシ4日目

223  日本を出国してあと3日で10ヶ月。10ヶ月も経ったなんて我ながらビックリ。時間が経つのは本当に早いと・・・最近・・というより25歳を越えてから思う事が多くなった。

 この10ヶ月本当にいろんなことが私達に起こった。初めての国境陸路越えアメリカ→メキシコから、アミーゴの国メキシコでの初めてのスペイン語圏の友人との出会い、初めての共産国家「キューバ」訪問、初めての国境海路越えパナマ→コロンビア、南米の大自然との触れ合い、観光大国「ペルー」の素晴らしさ・・・各国の名物料理・・・海外での病気・・・。

初めの頃はすべてが新しい事ばかりだった。最近は毎日新発見!とまではいかないけれど、国が変わるたび町が変わるたび、やっぱり私達を驚かせてくれる。「常識」とはなんなのか、「道徳」とはなんなのか、「幸福」とはなんなのか・・・新しいそれらと出会うたび、考えさせられる。その時間は私達をより「豊か」にしてくれるような気がする。

 今、私たちはボリビア・ポトシに滞在している。ボリビアという国は、日本の3倍の土地を持ちながら、日本の14分の1の人口しかいない。南米で海岸線を持たないのは、ここボリビアと隣国パラグアイのみ。昔は海岸線を持っていたものの度重なる戦争で領地を失いとうとう海岸線まで失ってしまったという過去を持つ。更に近代は度重なるクーデターで政府が変わり、腐敗した政治家達を多く産んだ不安定な国だった。「だった」いや今も不安定には変わりないのではないかと思う。南米諸国の貨幣価値はここ数年でかなり上がった。物価も高くなった。コロンビア、エクアドル、ペルーを旅行してきた私達は南米の「勢い」のような物を常に感じてきた。先進国である我々が「安く」旅行をする時代はもうすぐ終わるのではないかと思ってきた。でも、ここボリビアだけはチョット違う。南米一「貧しい」といわれるボリビア。貨幣価値は数年前と変わらない。政府が腐敗しているのか、社会のシステムが良くないのか・・そんなことよりも「前向きさ」に欠けている気がしてならない。前向きな人が居ないわけではない。陽気なボリビア人だっている。しかし、ここには他の南米諸国と同様、「格差」がある。エリートといわれる人たちは周辺諸国とたいして変わらない。ただ、一般に生活しているいわゆる「普通」から「貧しい」といわれる人たちの目が生き生きしていない。「貧しさ」に打ちひしがれているような人を多く目にする。

 ペルーのアマゾンで生活する人の、貧しさの中にもたくましく「生き生き」している人たちを多く目にしてきた私達には、この国の貧しさは人の心に在るような気がしてならない。

 今、ボリビアは国内全域の「スト」に突入している。鉱山夫の労働条件によるストで国内の主要道路は2日前から封鎖されたままだ。旅行者にとっては迷惑な話で、主要な移動が「バス」の南米において主要道路が塞がれるという事は、移動が不可能を意味する。日本なら幾らでも回り道はあるものの、ここボリビアにおいては主要道路のみが「道路」なのだ。私達も丁度移動日にこのストに当ってしまい、ここポトシに滞在する事を余儀なくされている。このスト、いつ解除されるかは未定。ボリビアにおいてストは珍しい事でもなく、ボリビア人はのんきな者だ。私達も「南米時間」には慣れているので何日でもいて構わないのだが、ボリビアに滞在できる期限は「1ヶ月」、あと3日しか猶予が無い。

大きなボリビアは頑張って回って1ヶ月は掛かる。南米一絶景だと言われる「ウユニ」を残して残り3日、もう「1ヶ月」で出国できる見込みはかなり少なくなってしまった。P1090390

 しかし、ここはボリビア。南米は基本的に「お金」が大きくものを言う。1ヶ月をオーバーしても1日当り10ボリビアーノ(160円)払えば出国できる。しかも、長期割引が利くと言うからびっくりだ。でも、ストで足止めを食らって、罰金を払わされるのは納得がいかない。一体、いつ出国できる事やら・・・。

 私たちがいるここボリビアには、世界記録が多く存在する。世界一標高が高い首都「ラ・パス」、汽船が運航する湖では世界最高所の「ティティカカ湖」、世界一標高が高い都市、ここ「ポトシ」、世界一大きな塩湖、しかも世界最高所「ウユニ塩湖」。P1080968

国内の主要都市が標高3000M近くもしくはそれ以上あるボリビアでFIFAの公式試合は出来ない。FIFA公認の公式試合が標高2500M以下でしか行えない事をFIFAが発表するとボリビアはそれに抗議するため、標高6000Mほどの雪山でサッカーをしたという記事を目にした。それに果たして効果はあるのか・・・。普通に考えて、 富士山の8合目辺りでサッカーの試合が出来るなんて日本人の私達にしてみたら不可能な話しだ。歩くだけでも酸素不足で苦しくなるのに・・・。

そんなボリビアも残りわずか。物価の安さに甘えて節約を忘れていた私達には、物価高の4国が残った。チリ、アルゼンチン、ブラジル、ベネズエラ。また、新しい人たちと、新しい食と、新しい経験に出会うため、私達の旅は続く。

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ペルー 病気レポート

リマからアレキパ、更にカバナコンデまで、計20時間に及ぶ長旅と、一気に標高3200Mのカバナコンデまで急いで登って来たことも重なり、カバナコンデに着いたときには、これぞまさしく「高山病」を発症し、頭が痛かった。それでもボリビアに6月1日に入りたい事もあって、「明日トレッキングをして、明後日帰る」という強行スケジュールを立てていた。

 到着した夜、ありえないくらいの頭痛が襲ってきた。あまりの痛さに眠れず、朝を迎えた。朝の7時くらいまでは、トレッキングをどうしようかと相談していたものの、相変わらず痛さが和らがず、その日は断念。痛み止めを飲み、1日ベットの中で過ごすことに。

 翌日、相変わらず高山病なのか、風邪なのかわからない症状が在ったものの、なんとか出かけられそうだったので、トレッキングに出かけることにした。今から考えれば、体調が悪いのに1泊2日のトレッキングなんてよくしたものだと逆に感心してしまう・・・。

 トレッキングからなんとかカバナコンデに帰ってきた。・・・すると突然下痢が襲ってきた。トレッキング後その日のうちにアレキパに戻るつもりが、無理だと言うことでもう1泊カバナコンデに泊まる事にした。トレッキングの後なので疲れもあるだろうと、風邪薬を飲み、昼過ぎからずっとベットの中で過ごした。夕食を取り、眠りに着く頃に、嵐の様に下痢と嘔吐を繰り返すようになった。何回トイレに行っただろう・・・苦しさに疲れ果てて眠ろうとするけど、胃が雑巾を絞るように痛んですぐ起きてしまう。明日もアレキパに帰る事はできない・・・。車もタクシーさえもない田舎町に病院なんてあるのだろうか・・・。いくらお金が掛かってもヘリコブターでアレキパまで運んで欲しい・・。夜中そんなことばかり考えていた。

 翌朝になり、全て吐ききったせいか少しだけ胃が楽になった。オレンジジュースを買ってきてもらった。2時間もしない内に、また嘔吐が始まる・・・。お医者さんに見て欲しい・・・。ホテルの人に聞くと、病院はあるらしいが町外れにしかなく、やはりそこまでは歩いていかなければならない。無理・・。仁くんに様子を見てきてもらうことにした。一人ぼっちで苦しむのは多少の時間でも気が遠くなるほど時間がゆっくりなものである。仁くんが女の人を連れてきてくれた。でも、その人は医者ではなく助手のような人で、症状を聞くだけ。その後、お医者さんと言われる人が来た。えっ?!そのお医者さんは手ぶらで、ポケットに聴診器と血圧計しかもって居なかった。お腹を聴診器で聴くだけで、薬を処方してくれた。治るのだろうか・・・。飲むしかなかった。

 翌日、何も食べていないせいか、それとも病気のせいか、胃は気持ち悪いままだった。でも、食べることが出来ないので吐くことはもうない。下痢だってない。強硬だけど、ちゃんとした病院がある大都市アレキパに戻ることにした。

 アレキパまでバスで7時間。病気の私には気の遠くなる話だった。その半分は舗装されていないガタガタ道を通る。流石に休憩地点のチバイに付いたときにはまた嘔吐した。そこからは舗装された道を通り、比較的楽にアレキパまで戻ることが出来た。

 ホテルに着く頃には、気持ち的に楽になったせいか、身体も復活しそうな気さえした。それでも食欲が湧かないので、仁くんが雑炊を作ってくれた。でも、一口しか食べられない。少しして、胃が痛み出した。気持ち悪く、激しく痛いので、真直ぐ寝ることすら出来ない。夜だったので何とか我慢して明日病院に行こうとしたけれど、夜も10時半を過ぎた頃、もう限界だった。タクシーで時間外診療、緊急患者を診てくれる病院へ行くことにした。

 病院に着く。中型の病院で救急車も完備されていたのでちょっとだけ安心した。薬と聴診器と血圧計しか持って居ないということは無さそうだったからである。胃の痛みは更に増していた。先生は直ぐに診てくれた。「点滴か注射をしよう」と行って出て行ったきり、今度は誰も打ちに来てくれない。苦しむだけしかなかった。どのくらい時間がたっただろうか。看護婦さんが点滴と注射を持ってきた。「助かった~」と心の底から思った。

 点滴が始まり、痛み止めの注射が入った頃、痛みは不思議と無くなっていった。しかし、それは20分と持たなかった。また痛み出す・・・。1本の点滴が無くなっても、症状は一向に回復しない。2本目の点滴が運ばれてきた。「同じ点滴で効果があるのだろうか・・」その間に先生が3人変わっていた。

 夜も更けて、時間外診療も終わりということで、点滴を止められ、「寝なさい」と言わんばかりに電気が消された。先生達も眠りに就く。2本目の点滴の頃から今度は左胸の上が釘で刺されるように痛い私は、眠るどころか、ベットの上で苦しむしかなかった。1時間、それとも2時間くらい我慢したけれど耐えられないので、先生を呼ぶ。「いろいろと注射したから今は何も出来ない」との答え。苦しめということなのか・・・。日本だったら・・・何回思っただろう。

 朝になり、専門の先生が来るということでそれまで痛みと闘った。先生が予定より遅れて来た。診察してもらったけれど、心臓に異常がないとの事。酸素マスクのようなものを付けられた。30分経っても痛みは消えない。最終手段なのか、お尻に痛み止めの注射を打つ。2時間ほどして、痛みが消えたので退院した。お腹は気持ち悪いままで、私はまだ病院にいたい気持ちで一杯だったけど、大丈夫だという先生の判断でホテルへと帰る。

 食欲は相変わらずなかったけれど、薬は必ずご飯の後でという先生の指示に従い、小さいヨーグルトを頑張って口に運ぶ。気持ちは悪いけど、吐き気はないので、1日3回僅かな食事で過ごす。2日経って、固形のパンなどが食べられるようになった。便も戻りつつある。

回復はもう近い。

次の目的地はクスコ。標高が3300M、消化不良を起こす可能性もあるのでアレキパでしっかり休養して向かうことにしよう。

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2007年6月 5日 (火)

「西和辞書と私」5月25日

ペルーのリマで僕が一番期待していたのは「西和辞書を手に入れられる事。」だった。

 

P1070454_1 グアテマラのシェラで「タカハウス」に宿泊したとき、そこに居た年配の旅行者がペルーでは西和辞書が何所でも手に入ると言っていたのだ。確かにペルーは日系の移民が多いしなかなか説得力のある意見だと思い、ペルーで一番の都会「リマ」に行ったら必ず辞書を買おうとグアテマラのシェラに居たときからだから、今年の一月から半年間ずっと思いを馳せてきたわけである・・・。

アマゾン熱帯地域のイキトスから久しぶりの飛行機移動でリマの空港に着いた。リマの空港は今まで見てきたアマゾン周辺のペルーの景色が幻でも見ていたのではないかと自分を疑ってしまいたくなるくらい美しく、ハイソサエティーで神々しく光って見えた。文明って素晴らしい、エスカレーターが在って、エレベーターが在って、アメリカ系のファーストフード店が24時間開いている・・・「ここならば西和辞書が売っていてもおかしくない。」そう感じさせてくれた。あまりに空港が綺麗だったので思わず空港で一泊してしまった。久しぶりに飲んだダンキンドーナツのコーヒーの美味しさに感動した。

翌朝、リマのダウンタウンまで向かう。途中で見る景色はいつものペルーに戻っていた。バラック小屋が並んで、少しまともな建物でも正面だけがまともで横はレンガが丸出しの状態。体裁だけが整えばよいと考える南米人の気質が良く現れていると思えた。空港だけが異常なほど綺麗なのもなんとなく伺える・・・。

ダウンタウンに着くとそこはやっぱり綺麗で観光客向けに、やはり体裁だけは整っていると感じた。それでも「西和辞書」は必ず在るはずだとホテルを足早に決めて早速、辞書を探しに行くことにした。

 先ずは、ガイドブックにも乗っている英語の本も買えるという本屋に向かった。スペイン語の辞書がいっぱい置いてあって、イタリア語から、英語、フランス語、ポルトガル語、ドイツ語と何でも揃っているように見えたが、肝心の日本語が無い!ショック!店員さんに聞いても無いとの事、「もし欲しかったら大使館に電話したら」と言われた・・・。そこまでしなくても手に入る筈だとまだこの時点では鷹を括っていた。

都合よく隣にはツーリストインフォがあったのでそこで他に西和辞書が売っていそうな本屋が無いのか聞いてみた。すると、本屋街があるのでそこにいけば見つかるかもとの事だった。最初に教えてもらった「通り」に行くとそこは印刷街だった。印刷屋が軒を連ねている。その数が半端じゃなく一角に20件ぐらいの印刷屋が集まっているのだ。日本でもこんなに印刷屋があるところを見たことが無い。またしばらく歩くと印刷屋が集まっていて、この周辺だけでも100件近くの印刷屋があるように思えた・・・。確かに凄い所を発見したがそこには辞書は無かった。その日、結局辞書を買うことは出来なかった。残念!

P1070443 翌日、別の本屋街に向かった、ここにも驚くほど本屋が並んでいて、空き地のような場所に本屋が20軒くらい軒を連ねている。道沿いにも本屋が並んでいる。しばらく歩くとまた本屋が5,6軒入った店がある。この通りには大小100件近い本屋が並んでいて、新品を売る店から、古本を扱うものまで。一軒一軒見て歩くと間違い無く日が暮れてしまうほどの本屋が並んでいたが、やるしかなかった・・・。

何十件も西和辞書が無いのかと聞きまわったが一向に見つからない。唯一あったのは1958年初版で1971年に重版された ものすごく歴史のあるものだけだった。その日も結局、辞書を買うことが出来なかったが、椎名 誠の「冒険にでよう」という本に出会った。結構面白い。

翌日、バスに乗ってミラ・フローレスまで向かった。ここには「SBS」スペシャル・ブック・サービスという本屋のイディオマつまり言語部門があってそこなら世界中の言語の本が手に入ると昨日教えてもらっていたのだ。ここなら必ず手に入ると喜んで店に向かった。店員に辞書があるかと聞くと想像もしないような答え・・・。「無い・・・。」「けど、日本語・英語の辞書なら在るよ・・・。」

「ここはスペイン語圏だろ!英語なんか誰も話せないくせして、何でそんなもんが置いてあるんだよ!」「英語が話せるようになってからでないと日本語話したらイケネーのかよ!」と腹立たしい気持ちでいっぱいだった。

日本語なんて世界に出てしまえばこんなものかと寂しく思えた。トヨタもソニーも日本の企業は世界中で見かけるのに、海外で日本語の辞書一個手に入れることが出来ないなんて・・・。

P1070560 今まで考えたこと無かったけど、日本語にはアルファベットが無い。だから、スペイン語圏や英語圏の人からすれば日本語に翻訳するための辞書が在ったとしても字が読めないから辞書の引きようが無いのも事実。「そんなもの必要ない!」と、言えばそうなのかもしれない。

僕も、たまたま「SBS」で見つけた英語・アラビア語の辞書(たぶん?辞書の題がアラビア語みたいなので書かれているのでそれがアラビア語であるのかどうかも確認できない。)ミミズのはったような文字を見ても何が書かれているのか解らない。だから、全く辞書が使えないのだということを実感した。

P1070561 旅の途中で、日本語の話せる外人に出会うことが少なからずあったが彼らは凄いのだ!辞書も使わずに言語を覚えていくのだから。

大学卒業するまでに8年間あまり・・・必死で英語の辞書を引いてきたが、それが、それほど意味の無いことに思えてきた。

とは、言いつつも、結局、歴史を感じさせるその辞書を購入してしまった。(大事に使お~っと。)

果たして語学を勉強するのに辞書は必要なのだろうか?

最近不思議に思っていることが一つある、「スパニッシュ・スクール」良く考えると何の学校なのかさっぱりわからない・・・。スペイン語が勉強したいはずなのになんで英語でスペイン語学校なの?

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5月3日 インカ・デル・バーニョ

5月3日 インカ・デル・バーニョP1060865

 クンベ・マヨに行った後。今回、カハマルカに来た最大の目的、温泉につかりに行くことにした。

 

海外の温泉は水着で入るのが一般的、そうでない場合は個室浴場を利用するようになっている。インカ・デル・バーニョは個室タイプなので「綺麗な景色を眺められそうな感じではないな・・・。」と出発以前から思っていたのであまり期待していなかった。

 カハマルカのセントロからコレクティーボ(ハイエースのバス)にのって1ソル(40円)20分で目的地まで到着する。

 

 目的地に到着してバスを降ろされたが何所に温泉施設があるのか解らない。想像していたよりも町の中に温泉があって。秘境温泉的な雰囲気は全く無い。

バスを降りた場所から30メートルほど歩くと比較的立派な茶色い屋根の建物が見えてくる。手前にはチケット売り場があってそこで入浴券を購入してから温泉施設の中に入る。ここの温泉施設はかなり本格的で宿泊用のバンガローやマサージルーム、リハビリー施設などもあった。個室の数も軽く50室はありそうなぐらい多い。個室にも幾つか種類がありそれぞれ施設や部屋の大きさが異なる。僕達は「インペリアル」という一番広い個室を利用することにした。一人5ソル(200円)。なかなかいい値段。

P1060857P1060854チケットには番号が書いてあって。その番号順に個室に案内される。浴室は利用するたびにお湯が抜かれ清掃されるので綺麗。

ただし、浴室にはシャワーがついていないので、桶を持参しなくてはならない。風呂桶を持ち歩くような旅人はあまり居ないと思うので、少し大きめのペットボトルを半分に切って使うとなかなか勝手がいい。

浴槽は一般的な海外の浴槽よりもチョット深めで80センチぐらいある。深めの浴槽が好きな日本人にはちょうどいい。お湯の温度も高め、水で温度を調節しながらいい塩梅に調節出来る。

P1060863浴室は広くて二人で入るには充分すぎるぐらいのスペース。外の景色は見えないけれど、裸では入れるのと、体が洗える事、周りを気にしなくてすむことを考えたら個室温泉は過ごしやすいしゆっくりできる。

何よりもここの温泉は綺麗なのがいい!海外の温泉ではその衛星状況があまり期待できない場合が多いなか、かなり整った施設なので久しぶりにたっぷりと湯に使って旅の疲れが充分にとれた。「極楽!極楽!」

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2007年5月24日 (木)

5月3日 クンベ・マヨ

5月3日 クンベマヨ

P1060768P1060806   カハマルカの中心地から20キロほど離れた場所に「クンベマヨ」と言われる場所がある。自然の岩で出来た森や、紀元前300年ごろに作られた水路が発見されている。公共の交通機関が通っていない為、ツアーに参加するか、タクシーをチャーターしなくては、行く事が出来ない。

 あまりお金を使いたくなかったのだけれどツアーに参加することにし た。一人17ソル(600円)決して高くは無い。が、宿泊費が一部屋20ソル(800円)ランチが3ソル(120円)だと考えると結構な値段だと思う。P1060830

P1060850  

 クンベマヨに向かう途中、道路は舗装されていない。舗装されない道は非常に不便だけど写真に収めるにはこのほうが周りの景色になじむ。

日本ではどんなに山道に入ったって道路が舗装されている。道路を見つけては工事を繰り返す。道路工事はお金になるのだろう。国民の血税で政治家と土木会社の私腹を肥やすために日本の道路はどんどんと綺麗になっていく。舗装されていない公道なんて殆ど見当たらない。P1060775_1

土壁の家が建てられている。日本の建築基準法はこの国では絶対に当てはまらない。土壁の家に限らず、どの家も地震が来れば直ぐに崩れてしまいそう。

昔ながらの家は異邦人の僕らが見てもなんとなく温かみを感じてしまう。この景色にコンクリートの建物やカラフルに塗られた西洋建築は似合わない。

P1060770 麦藁帽の背が高いようなチョットへんてこな帽子をかぶっているのがこの地域のインディヘナの特徴。決してお洒落だとはいえないその格好が可笑しくてならない。

クンベマヨに到着。紀元前300年から殆ど変わっていないだろうと思われるその景色に感動した。

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5月2日 カハマルカ移動

5月2日 カハマルカ移動

P1060751_1   インカの温泉で有名な町「カハマルカ」に温泉に入りに行くことにした。バスで6時間20分。距離は短いのにアンデスの山を再び登るためその歩みは非常にのろい・・・。アメリカ(メキシコ・アメリカ合衆国・カナダを含む南北アメリカ大陸)にはなぜか「トンネル」や「橋」が少ない・・・。直P1060756線であれば僅かな距離なのに必要以上にくねくねと曲がった道を通らなければならない。日本では当たり前の「トンネル」のある景色も海外ではそれほど当たり前ではないのだ。カハマルカの標高は2800メートル。暑い砂漠地帯から再びアンデスの山岳地帯に向かう。長距離のバス移動はもう慣れっこで、移動中は常に寝ていた。肌寒さを感じて目を覚まし、外を見ると綺麗なアンデスの景色。

 

P1060758 目的地に到着。人口20万人弱の比較的大きな街。山間の小さな盆地にひしめき合うように家が建てられている。アンデスを旅しているといつも思うことだが、

「何でこんな所に・・・。」

「土地は腐るほど余っていそうなペルー。何もこんな所に街を作らなくたって・・・。」

カハマルカもスペイン統治の影響を残している。その昔インカ最後の皇帝「アタワルパ」はこの町で温泉に入っているときにスペイン人、フランシスコ・ピサロに捕らえられた。こんな所にまでスペイン人は侵略してきたのか・・・。

P1060763 P1060765

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5月1日 シパン博物館

5月1日 シパン博物館

P1060745P1060743   チクラヨの街について2日目、移動の疲れも取れたので、周辺の見所を見て周る事にした。が、チクラヨには特に見所が無い、唯一あるのが「シパン遺跡」、(日本人にとってはシカン遺跡の方が馴染み深いかも・・・シカン遺跡もチクラヨの比較的近くで見つかった。)遺跡も見に行けるのだけれど博物館のほうがお奨めだとホテルのおばちゃんが言うのでそちらに向かうことに決めた。遺跡と博物館の場所が全く違う場所にあるのもなんだか変な話だけど・・・。

 タクシーで乗り合いタクシー乗り場まで向かう。2ソル。タクシーの初乗り料金が安くても500円の国に住む僕達にとってタクシーの初乗り料金が1ソル(40円)のこの国はタクシーが大変お得に感じる。

 「乗り合いタクシー」日本ではあまりお目にかかれないけど南米諸国では良く見かける。あえて言うならば白タクのような感じ・・・。向かう方面が一緒な何人かが一つの車に乗りあって目的地まで向かうタクシー。これに乗って10分、一人1,5ソル(60円)。チョット割高な気がしたけど歩いていける距離ではないので仕方ない・・・。

 シカン博物館の入場料は学割が効いて一人3ソル(120円)。非常に安い。博物館はまだ新しくて立派だけど周辺はかなり寂れている。チクラヨで唯一の観光名所だと言うのに数件のお土産屋さんが在るだけ。

 

 セキュリティーが意外と厳しく博物館の中に荷物の持ち込みはできない。写真撮影も禁止。

 博物館の中には世界で二番目に黄金が発掘された量が多い遺跡(エジプトのツタンカーメンらしい・・・。)というだけあって数々のきらびやかな装飾品が飾られている。遺跡マニアでなくとも少しは圧倒される。

 

P1060741 遺跡マニアで無い僕にとっては、シカン博物館よりもチクラヨの街のいたるところにある「セビーチェリア」の方が興味深い。「セビーチェリア」とはセビーチェという魚やたこなど魚介類の酢漬けを出すお店。このセビーチェが安くてうまい。一番、安いもので1ソル(40円)。値段に応じてセビーチェの量を変えてくれる。

P1060750 それと、これもチクラヨでよく見かける「キング・コング」というお菓子。このお菓子もなかなかうまい。カステラの様なもっとサクサクした生地でキャラメル味のクリームを挟んである。かなり甘いのでそんなに量は食べられないけど、少しであればかなり美味。

 因みに5月1日はペルーでも勤労感謝の日です。

 帰りにキムさんに会った。キトのスクレで出会った旅人。ビックリ!

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